理系東大生の0から始める読書生活~5~

皆さんこんばんは(夜ぎりぎりに書いてるのがバレバレですね)。ということで元気に5日目もブログを書いていきましょう。明日は理系東大生の一年生なら誰しもがまh氏に待った中間試験です!対策する気が起きずにだらだらと勉強してしまった僕は大丈夫なのでしょうか。大体の結果は明日の僕のブログのテンションでわかるのではないでしょうか。ぜひ明日も見に来てください。

 

ということで本日のテーマはまったく本とは関係ないことですが僕が最近気になったことについてでも話していこうかなと思ってます。完全に読書と関係ないとさすがに何のために書いてるのかわからないのでそれに関連した本で今後読んでみたいと思ったやつを最後の方にいくつかあげたいと思います。

 

ということで議論していきたい(勝手に意見を述べるだけだけど)テーマは動物愛護法です。

 

まず最初に自分の意見を述べると動物愛護法に関して僕は否定的です。その理由をいくつか説明していきたいと思います。ここで一つ注意なのですが僕は決して動物に対して残虐的な行いが容認されるべきであると言っているわけではありません。それらは個人の倫理に任せるべきであり、それを法律で規制することに対していささか疑念を盛っっているだけです。それでは本題に入っていきましょう。

 

まず一つ目の理由として、目的と実際があいまいさに満ち溢れているという点です。動物愛護というのだからすべての生物に対して同様な措置をとるのが自然だと思いますが、動物愛護法では一部の動物(動物愛護法要参照)に限られています。それではただ自分の周りにいる動物たちのみに着目した自己満足的な法律のように思えて仕方がないのです。人間の周りさえよければいいという何とも自己中心的なしせいが うかがえますね。やるなら徹底的に生類憐み令のように厳しくするべきなんじゃないですかね。(実際どうなのかはしらないですけど)

 

二つ目の理由としては科学の発展の妨げになるからです。現在ラットやモルモットなどを用いて様々な実験が行われているのはご存じだとは思います。しかし様々な観点から動物実験を安易に行えなくなっているのは確かです。しかし、僕ははっきりと人間とそれ以外は線引きをするべきであり、生物であろうと無機物であろうと人間の発展の糧となる存在であるということを抜け出せないようにするべきだと思います。あくまで人間からしたら道具にすぎずそれに対して勝手に愛着を持った人々によって広まった運動だと思ってます。(言い方きつくてすみません)しかし必要以上の感情を理由に科学の発展が遅れるのはいかがなものだろうかと思います。(もちろん人間で実験するのはNG)。

 

まだまだ書きたいのですが今日はこの辺にしておきます。様々な意見あるかと思います。ぜひ反論というか批判、意見をお願いします。(それこそがブログの醍醐味?)

 

ということで何冊か本を挙げて終わろうと思います。

 

コメントにおいておすすめの本など常時募集しております。書いてくださった本は必ず読みます。もちろん聞きたいことや感想なども大歓迎です。